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Why did God Create Mankind?

人類の本来の目的は、神を崇めることです。しかし、神は人間の崇拝を必要としているわけではありません。たとえ誰も神を崇拝しなかったとしても、神の威厳に傷がつくということはありません。信仰というのは、神ではなく、人間こそが必要としているものなのです。

人類にとって唯一成功出来る方法は、神が作ったルールに従うことです。神の法に従うことで神を崇拝してはじめて、天国(=究極の成功)に入ることができるのです。

といっても、神の法というのは、人間を縛りつけ苦しめるものではありません。その逆で、人間を様々な害から守るためのものなのです。これは、人間にとって本当に何が益で何が害か、分かっている神だからこそ作れるルールです。このルールに沿った生き方が、人間にとって最も良い生き方なのです。

人間は物質的欲求に囚われすぎて、精神的欲求を忘れてしまいがちです。そのために、神は様々な崇拝行為を生活の中に散りばめるように定め、私たちが神を思い出せるようにしているのです。1日に5回ある礼拝は、私たちを物質中心の世界から精神の世界に引き戻し、神との繋がりを感じる時間を与えてくれます。神の法は、物質面と精神面のバランスが取れるように作られているのです。

神を忘れると、人は罪を犯しやすくなります。悪魔の力は、人間の頭の中を意味のない考えや欲求で満たし、堕落を受け入れやすくさせます。

神が酒と賭け事を禁じたのは、これらが腐敗や争いにつながり、人間が神を忘れやすくなるからです。人間は弱く、罪を犯しやすい生き物です。神を思い出さなければ、どんどん悪の深みにはまっていきます。神を思い出し、反省することは、私たち自身のために必要なことなのです。

イスラム教は、人類すべてのためのものです。人間はみな同じ精神的・社会的欲求を持っていて、人類が初めて創られてからずっと、同じ性質を持っているので、一つの宗教しか必要ないのです。それがイスラム教です。

イスラム教では、どんな行為も崇拝行為になり得ます。信者は、すべてを行為を神のためにするべきです。このためには、2つの条件があります。

  1. その行為は神を喜ばせるためだけにするもので、他の人に認めてもらうためや、誉めてもらうためであってはいけません。
  2. その行為は、預言者様(彼に平安あれ)が行った方法(アラビア語でスンナと言われる。)に則っていなければなりません。預言者は、人間の見本となり導くための存在だからです。

人類の最も重い罪は、自分たちが創られた目的に反することです。つまり、神以外の存在を神のように扱うことは最大の罪であり、唯一、反省しなければ許されることのない罪です。

神への崇拝を示す行為の一つとして、神が愛する人々を愛することがあります。同じ神を愛する人同士の間には、特別な繋がりが生まれるのです。

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